プロフィール

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経歴
福島県立福島高等学校 卒業
立教大学法学部 卒業
立教大学法科大学院 修了
平成26年9月 司法試験合格
平成27年12月 弁護士登録(弁護士法人ブレインハート法律事務所に勤務)
役職
日本弁護士連合会 貧困問題対策本部 委員(平成29年6月~)
大阪弁護士会 労働問題特別委員会 委員(平成30年7月~)
一般社団法人大阪青年会議所 会員(平成31年4月~)
これからの目標
東北では見たことのない種々の名所を訪れたり、魅力的な食文化に接したりすることで、大阪を中心とする関西の素晴らしさを知り、関西ライフを満喫すること
座右の銘
何事も明るく前向きに
得意分野
家族の問題(離婚、認知、監護者・親権者の指定・変更、養育や相続など)、借金の問題(個人や会社の破産、個人の民事再生)、その他様々な民事の問題(債権回収、架空請求対応、不動産の明渡しなど)
これから挑戦したいこと
皆さまの法的ニーズや信頼にお応えできるような得意分野の開拓や相談技術の向上、積み上がっている書籍の読破

趣味

読書

最近好んで読んでいるのは、数学系の教養書、社会学や哲学系の古典・新著などです。

仕事をしたり読書をしたりしていると、どうしても数学的な思考が必要になるときがあります。
しかし数学的なものを避けてきたことから不得手なので、教養書の読書から再入門しようとしています。
遠山啓先生の『数学入門』や野矢茂樹先生の『無限論の教室』等

社会学や哲学系の本は、純粋に知的好奇心を刺激されることから、気になったものをとにかく読んでいます。
そして、時折、法学とつながっているのかなと思えるところがあり、知の営為の広がりに驚いています。
ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』、ゲオルククニール外の『ルーマン 社会システム理論』やフロイトの『精神分析入門』等

旅行

kamigamo

元来、出不精なところがあるのですが、折角地元を離れているので、関西の観光名所を訪れたり、自分のお気に入りの場所を見つけたりしたいと思っています。
今のところ、上賀茂神社(賀茂別雷神社)、有馬温泉等がお気に入りのスポットです。
ちなみに大阪は、住むようになって3年目であることもあり、ある種地元感が出てきたので、旅行場所という非日常のカテゴリーではなく、まさに自分の身近な生活空間という位置付けになっています。

ボードゲーム

「人生ゲーム」くらいでしか遊んだことがなかったのですが、大人になり、友人から「カタン」というボードゲームを紹介してもらって以来、デジタルではないゲームの楽しさを再発見しました。
友人たちとわいわい盛り上がることができたり、(友人関係が壊れない程度に)真剣な勝負もできたりするので、おススメです。
また、コマやタイルなどのコンポーネントがおしゃれなゲームもあるので、コレクションをするのも楽しいですし、今なら、たくさんのYoutuberが、色々なボードゲームを遊びながら紹介しているので、遊びの雰囲気が分かるのもいいですね。

アニメ鑑賞

もともと、子どものころ、サンライズの「機動戦士ガンダム」シリーズに熱中していたことがあり、特にロボット物・戦闘やバトルのあるアニメを鑑賞することが好きです。今でも「機動武闘伝Gガンダム」の主人公と師匠の一騎打ちシーンは涙なしでは見ることができません。ちなみに、これはおそらく異端だと思いますが。
最近ですと「鬼滅の刃」にハマっています。
声優の方々の素晴らしい演技、アニメーターの方々の並々ならぬ意欲で作り上げられた美麗な映像など、日本のアニメ文化のクールさを感じています。

社会奉仕活動

現在、大阪青年会議所(JC)に所属し、社会奉仕活動をしています。
色々な噂があるかもしれませんが、JC活動に熱心に携わる人は、実際地域社会に対する熱い想いを抱いており、様々な奉仕活動を率先して行っています。
そして、そんな熱い想いを持った同年代の仲間を得られる、社会人にとっては得難い場でもあると思います。
私もそんなJC活動を通じて、素晴らしい仲間とともに、大阪のために少しでも貢献できる活動をすることに楽しさを覚えています。

私の生まれ・育ち

私は、教員の父と事業家の家系の母の間に生まれた3人兄妹の長男として育ちました。
父がいわゆる転勤族だったので、福島県のいわき市で生まれた後、中学校3年から高校生までは福島市で過ごしました。

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いわき市は、日本で初めて発見された首長竜フタバスズキリュウの化石や、スパリゾートハワイアンズのフラガールが有名で、太平洋に面しているので海の幸も美味しいところです。
また、福島市は桃などの果物が日本屈指の生産量を誇りますが、最近だと、NHK朝の連続テレビドラマ小説「エール」の主人公・古関裕而(こせきゆうじ)さんの地元としてご存じの方が多いのではないでしょうか。
ちなみに、幼稚園のころは鹿児島県鹿児島市に住んでいたこともあります。

小学生のころ~いじめへの直面

自分で言うのもなんですが、小学校のころまでは勉強もできていた方で、学校の先生からの覚えも良かったと思います。
また、そのころは良く食べる一方、運動は苦手だったので肥満体形でした。
おそらく、そのためでしょうか。
一部の同級生には、体形のことを馬鹿にされたり、「死ね」なんて言われたり、いじめられていました。
「僕は死んだ方がいいのかな」と思ったこともあったくらいです。
これは、私にとって、疎外されることに直面し、そこから生まれる苦痛を初めて感じた時だったと思います。
ですが、両親をはじめ周りの人たちに支えられ、悲観的にならず「自分は自分なんだ」と思うことができたことは、幸運だったといえます。

中学生・高校生のころ~剣道で培ったもの

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私は、小学生のころから剣道をはじめ、中学校では剣道部に入部しました。
部活動での指導はとても厳しく、夏の暑い日も、冬の寒い日も、ほとんど毎日休みなく稽古があったため、嫌になって辞めてしまいたいと思ったことが何度もありました。
ですが、何とか継続できたことは、とても心強い経験となっています。
その後、中学校3年になる年に福島市に移り住むことになり、高校でも剣道部に入部して剣道に打ち込みました。

剣道には昇級・昇段の試験があります。
私は、高校までで授与される最も高段の三段を有していますが、三段になるため3回もの試験を受けました。
同級生たちは1回で昇段していたので、三段に1回で昇段できないことがとても辛く、恥ずかしい気持ちでいっぱいでした。
しかも、そんな精神状態が身体にも跳ね返って来たのか、まるで自分の体が自分のものではないような状態になってしまいました。
そのため、試合でも良い結果を残すことがでず、レギュラーを外れることにもなりました。
そこで、私は基礎に立ち返って、自身の心技体を一から鍛え直しました。
そのおかげで、何とか3回目の昇段試験で三段となり、自信を取り返して、レギュラーにも返り咲くことができました。

大学への進学~勉強が好きではなく何も考えていなかった

ところで、弁護士をしていると、「勉強が好きで、得意だったのですか」とよく聞かれることがあります。
私の場合どうだったかというと、勉強は好きではありませんでした。
特に高校生のころからは、定期試験のための一夜漬以外、ほとんどしていませんでした。
ですから、成績は悪く、当然のように親と進路のことで揉めました。
このことは、私がなぜか「考古学をしたい」と言い出したことで、さらに拍車が掛かったのを覚えています。
両親は「考え直しなさい」と、勉強が好きではないのに無謀なことを言う私のことを諭してくれたのですが、私は「じゃあ、つぶしがきく法学部でいい」と言って、安易な考えで、法学部を受験することを決めてしまいました。
遅まきながら、反抗期だったと思います。
その後、私は幸運にも立教大学に合格することができたのですが、当然将来のことは何も考えていませんでした。
ただ、大学の友人が弁護士を目指すと言っていたので、私も弁護士になろうかなと考えるようにはなっていました。
振り返ってみると、私は何て勿体ないことしてきたんだと思いますし、しかもとてつもなく無謀な進路を取ってきたと思います。

恩師との出会いから司法試験合格まで~勉強で得た「ものの見方」

大学に入学してからは、講義を受け、サークルの活動に参加し、アルバイトをする単調な生活を送るようになりました。
しかし、相変わらず、将来のことは漠然としか考えていなかったのを覚えています。
このような生活からの転機になったのは、たまたま選択したゼミ(演習)で恩師に出会ったことです。
恩師は行政法を専攻する教授でした。
行政法は、国のような公的団体が関わる様々な法律を研究する分野なのですが、この様々な法律を束ねる「ザ・行政法」のような法律を持たないため、そのような法律に代わる「ものの見方」(理論・アイデア)ができるかどうかがとても大きな関心事になります。
私は、その恩師の指導の下、「ものの見方」を学んでいきました。
勉強をしていくことで、色々な出来事や制度を筋道立てて統一的に説明することができるのではないか、という感覚を持つようになりました。
これが、ひとつの巨大なジグソーパズルを組み立てているようで、とても楽しかったのを覚えています。
高校までの私には考えられないことでしたが、進んで図書館にも行くようになりました。
そして、「ものの見方」が浸透すれば社会はもっと暮らしやすくなるのではないか、とも考えるようになりました。
そこから、行政法に関するダイナミックな仕事をしたい、その一つとして公共的な法務に携わる弁護士が良いのではないかと真剣に考えるようになっていきました。
そこで、ロースクールに進学することとし、途中、受験勉強の辛さに耐えられなくなりそうになったこともありましたが、諦めることなく、何とか司法試験に合格することができました。
司法試験の受験中も、恩師は私のことを気に掛けて、幾度となく応援してくれました。
恩師には、とても大きな感謝をしていますし、一生を掛けて、その学恩に報いていきたいと思っています。
また、大学、ロースクールと苦楽を共にした仲間とは、今でも深いつながりがあり、互いに助け合っています。

研修生のころ~出身地から遠く離れた地での経験

司法試験に合格し、司法修習生となった後は、見える景色も、気持ちも、それまでとは全く違ったものに思えました。
おそらく、勉強嫌いだった自分がここまで来た、という達成感があったのだと思います。
私は、実務の研修を京都で受けました。
京都を希望する人は多数いましたので、これはかなり幸運なことでした。
ですので、毎日の研修には、真剣に、ですが楽しみを持って臨むことができました。
また、研修が終わった後は、同期とともに、観光したり、食を楽しんだりと、京都の古き良き文化・新しい文化を享受していました。
ただ、私自身、相当なお上りさんだったと思います。
ちなみに、司法修習で出会った同期や指導教官とは、今でも連絡を取り合い、指導を受けたり、時間を見つけて旅行に行ったりするなど、良き仕事仲間・先輩となっています。

弁護士となってから現在

私は、平成27年12月に司法修習を終え、弁護士法人ブレインハート法律事務所に入所しました。
当事務所は、公的な団体からの依頼を受けて業務を行うこともある事務所だったので、大学生のころに考えていたことを実現できた瞬間でもありました。
その後、当事務所代表弁護士の菅野晴隆の下で指導を受け、様々な案件に携わり、弁護士としての経験を積んでいきました。
そして、平成30年6月、当事務所が大阪に支店を出すこととなり、関西で暮らした経験のある私がその責任者として選ばれ、大阪に赴任することとなったのです。
これが、私が大阪で弁護士をすることとなった経緯です。

弁護士としての経験

私は、これまで、個人か企業かを問わず幅広い案件に携わってきました。
例えば、企業に関する案件としては、労務管理、平常時の債権回収や危機時期の破産があり、個人に関する案件としては、離婚や相続などの家族問題、土地や名誉絡みの近隣トラブルなどがあります。
もちろん、行政側の訴訟代理人として名を連ねたこともあります。
中でも、特に経験が多いのが、債権回収と破産だと思います。
債権回収は、現在も企業や公的な団体から依頼を受けて、大小問わず対応していますし、日常業務における法的な提案もしています。
破産に関しても、企業から個人まで多数の申立てをしてきましたし、裁判所から選ばれて破産管財人(全てのステークホルダーのために破産者の財産を管理処分する者)としての仕事もしています。
また、私としては離婚や相続のような家族の感情が激しく対立することの多い案件について、心情面にも配慮して柔軟に対応してきたという自負もあります。
私たち弁護士は、法律に関わる紛争を解消する専門家です。
その紛争は、経済的な利害だけではなく、計算できない感情面の問題を解きほぐしていくことも重要です。
感情面に配慮できなければ、どこかで納得できないことがあります。
そして、感情はたった一言であったとしても悪化してしまうものです。
解決まであと一歩だったのに、心無い一言でご破談になることもあるのです。
ですから、私は、心情面に配慮することは非常に大事であると思っています。

これまでの人生で得てきた教訓

このように自分の人生を振り返ってみると、これまでの様々な経験が今も活きていると感じます。
例えば、小学校のころいじめに遭った出来事は、いわゆるマイノリティの方々をはじめとして、社会の中で辛い思いをしている方々の相談を伺うときの糧になっていると感じています。
もちろん、その方々の全ての辛さを理解できるとは口が裂けても言えませんが、私自身が、疎外を経験していることで、少なくとも、想像力を働かせ、相談者の立場に思いを馳せることができているのではないかと思っています。
また、剣道を何とか辞めることなく継続し、基礎に立ち返って心技体を鍛え直した経験は、辛い時期でも諦めない心を持ち、ハードな案件であったとしても最善を尽くすよう努力すること、初心を忘れることなく(心)、確立した学知を大切にしつつも新たな知見を取り入れつつ(技)、依頼者の要望に可能な限り対応できるだけの体力とフットワークを備えること(体)、という弁護士としての心構えに活かされていると思います。
そして、ド田舎から上洛してお上りさんとして生活をした経験は、相談者の立場(内)を踏まえつつ、専門家としての立場(外)からコミットするという形で活きています。
私のこれまでの人生は、特に勉強の点で反面教師にしていただきたいと思いますが、それでも、今、弁護士として仕事をするうえで、意味のあることだったのだなと思っています。

最後に ~大阪の皆さまへ

いかがだったでしょうか?
そして、出身がどこであろうと、他者のまなざしが生み出す問題、弁護士としての心技体の重要性、ご依頼者の視点と専門家の視点とを両方とも維持すること等、弁護士として必要なことは変わらないと思います。
私は大阪で困っている方、今後のことに不安を感じている方に寄り添い、皆さまに信頼してもらえる弁護士となれるよう、日々、精進していきます。
そして、皆さまにとっての身近な法律の専門家として、しっかりと職責を果たしていきたいと思っています。
どうぞ、よろしくお願いいたします。